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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)9039号 判決

原告

戸村潔

原告

戸村洋子

右両名訴訟代理人弁護士

田中重仁

安原幸彦

被告

佐々正達

被告

古山米一

右両名訴訟代理人弁護士

高田利広

小海正勝

主文

一  被告らは各自、原告らに対し、それぞれ金一四三三万三八三四円及び内金一三〇三万〇七五九円に対する昭和五五年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告らに対し、それぞれ金三三八一万九九五〇円及び内金二九八一万九九五〇円に対する昭和五五年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告戸村潔(以下「潔」という。)は亡戸村瑠花(昭和五五年二月四日生、同年九月一一日死亡。以下「瑠花」という。)の父、原告戸村洋子(以下「洋子」という。)は瑠花の母である。

(二) 被告佐々正達は、外科、内科、小児科、産婦人科、整形外科、耳鼻咽喉科、眼科、肛門科を診療科目として掲げる佐々病院を経営する者であり、被告古山米一は昭和五五年当時非常勤医師として同病院に勤務していた者である。

2  本件医療過誤発生に至る事実経過

(一) 昭和五五年九月一〇日午前一〇時一五分ころ、瑠花が急に激しく泣き出し、その泣き方が普段と異なるので、原告らは同女をかかりつけの尾崎医院へ連れていつた。瑠花はそこで訴外尾崎又英医師により検温の後浣腸を受けたが、血便もないということで一応帰宅した。帰宅後瑠花は軽く三回程嘔吐したが、同日午後二時四〇分ころ激しく嘔吐し、体温も三七度八分あつたので、原告らは再び同人を尾崎医院に連れて行き、同日午後三時三〇分ころ診察を受けた。尾崎医師は原告らに問診の後聴診等の診察をした。瑠花はこの時は排便は無かつたが、診察中激しく嘔吐した。尾崎医師は診察の後原告らに対し、「腸重積の疑いがあるので田無の病院に送りましよう。」と述べ、直ちに佐々病院に電話で「腸重積の疑いのある患者を送りたい。血便は見られないが症状がどうもそうらしい。」と連絡し、同病院の承諾を得るとともに救急車の手配をした。

(二) 同日午後三時四六分ころ救急車が尾崎医院に到着し、直ちに原告ら及び瑠花を乗せて佐々病院に向かい、同日午後三時五五分ころ同病院に到着した。瑠花は救急車の中では普段より元気がない程度であつた。原告らは到着後直ちに外科外来の診察室に入つたところ、瑠花の診療を担当することになつた被告古山から、「ああ電話のあつた腸重積の子か。ちよつとそこですわつていて。」と言われ、そのまま医師及び看護婦の診察を受けることなく、同日午後四時二〇分ころまで待たされた。被告古山は、瑠花を待たせている間に三人の外来患者を診察した。

(三) 同日午後四時二〇分ころ瑠花はようやく被告古山の診察を受けた。被告古山は瑠花の腹部を軽く触診したのみで、検温、聴診及びレントゲン室でのレントゲン単純撮影を行わず、直ちに瑠花をレントゲン透視室に移すよう指示した。なお右触診の結果、瑠花の右上腹部にやや抵抗のような感じがあつたものの、はつきりとした腫瘤とは認められず、また、腸重積症の症状の一つで右下腹部が空虚に触れるダンス症候も認められなかつた。被告古山は、レントゲン透視室において瑠花に対し当初いきなりバリウム注腸を行おうとしたが、レントゲン技師に注意されてはじめて胸腹部レントゲン単純撮影写真を二枚撮影し、その後引き続きバリウム注腸を開始した。被告古山は約二〇分かけて二〇〇ccのバリウムを注腸したが、この間管が三回はずれた。また、瑠花は注腸開始時より泣き方が激しくなり注腸の間泣き続けていたが、その泣き声は次第に弱々しいものになつていつた。

(四) 被告古山は、右二〇〇ccの注腸終了後同日午後五時ころから瑠花に対し麻酔を施し、再びバリウム注腸を開始した。注腸再開に先立ち原告潔は被告古山に対し、「こんなに腸が張つているのにまだ続けて破裂しないでしようか。」と危惧を述べたが、被告古山は、「バリウムの流れが止まつているんだなあ。患部までいかないんだよ。ここまでもつたんだからもう少し注腸したいと思うんだが。あるいは整復できるかもしれないし、カメラを見ながらやつているんだから大丈夫だよ。」などと答え、二回目の注腸に踏み切つた。被告古山は瑠花に対し更に三〇〇ccのバリウムを注入したが、結局何らの診断も得られないまま同日午後五時二五分ころ注腸を終了した。瑠花は右二回目の注腸を開始するころには、口唇は紫色に変色し呼吸困難も出現し体力の衰弱も著しかつたが、その終了時にはそのいずれもが一層増悪した。

(五) 注腸終了後瑠花は前記レントゲン透視室から病室へ運ばれ、病室で酸素吸入及び点滴を受けた。他方、被告古山は、注腸終了後前記胸腹部レントゲン単純撮影写真をみて、瑠花の疾患が腸重積症ではなくて横隔膜ヘルニアであることに気づいた。同日午後六時五分ころ、原告潔は、被告古山及び訴外東里医師から、瑠花の病名は横隔膜ヘルニアであり腸重積症ではないこと、既にきわめて危険な状態であり、佐々病院では処置できないので同病院の救急車で武蔵野赤十字病院へ転送する旨告げられた。

(六) 瑠花を乗せた救急車はその後直ちに佐々病院を出発し、同日午後六時三〇分ころ武蔵野赤十字病院に到着した。車中の瑠花は意識は消失し顎で呼吸をしている状態であつたが、佐々病院からは看護婦が二名付き添つたのみで医師の付き添いはなく、瑠花に対する酸素吸入措置もとられなかつた。

(七) 武蔵野赤十字病院に搬入されたときの瑠花の容態は、その呼吸パターンが重篤な呼吸障害を示す下顎呼吸で、著明なチアノーゼがあり、脈拍も微弱で理学的にも左肺呼吸音は聴取できず、心濁音界不明であつて、総括的に極めて状態が悪く、呼吸循環障害が極めて重篤であつた。瑠花の右症状をみた同病院の医師団は直ちに瑠花に対しマスクによる酸素吸入を施すとともに、手術に踏み切ることにし、同日午後六時五〇分から麻酔を開始し、午後七時五分に呼吸管理の方法を気管内挿管による人工呼吸に切り換え、午後七時一五分から開腹して左胸腔内に篏入した腸を腹腔内に還納し横隔膜の欠損部を縫合閉鎖する手術を施し、午後九時四一分に右手術を終了した。開腹したところ胸腔内に篏入した腸のために左肺はつぶされ、心臓が右側に圧迫されて押しやられており、それが原因で瑠花は著しい低酸素症、循環不全に陥つていたが、篏入した腸は未だ壊死の状態には至つていなかつた。瑠花は、手術後も酸素濃度を最高値の一〇〇パーセントにして気管内挿管による呼吸管理が施されたが、呼吸循環障害が回復しないまま、翌九月一一日午前二時四〇分心不全により死亡するに至つた。

3  被告古山の過失

(一) 誤診

(1) 被告古山は、瑠花を担当する医師として、必要な検査、診療を行い、瑠花の病状に対し正しい診断をなすべき義務があることは言うまでもない。

(2) ところで、瑠花のように腹痛、嘔吐があり、何らかの腹部の疾患が疑われる患者に対しては、その治療方法を大別するため最初にレントゲン単純撮影を行うべきことは、診察の通常の手順であり、また、治療の前提として必要不可欠のことである。

(3) 更に、瑠花の場合前医から腸重積の疑いという申し送りがあつたにせよ、その表現は腸重積症の診断を断定する言い方では決してなかつたうえ、瑠花には腸重積症特有の血便、ダンスの症候及び腹部腫瘤が見られず、逆に、瑠花は発病後尾崎医院で二度目の診断を受けるまで計六回嘔吐するなど、横隔膜ヘルニアの主要症状が存在した。

(4) 横隔膜ヘルニアは、瑠花のような乳児についてはその発生頻度が低い疾患であるとしても、その病名自体は教科書的文献には必ず触れられているうえ、乳児期の症例も報告されているのであつて、しかもレントゲン単純撮影により容易にその診断がつく疾患である。

(5) 従つて被告古山には、瑠花に治療を施す前に胸腹部レントゲン単純撮影を行い、瑠花の疾患が横隔膜ヘルニアであることに気づくべき義務があつたことは明らかである。

(6) しかるに被告古山は、前医の申し送りにとらわれ、瑠花に他の疾患の存在も十分考えられたのにそれに思いが至らず、レントゲン室でのレントゲン単純撮影を省略し、また、レントゲン透視室で撮影した胸腹部レントゲン単純撮影写真を予め検討することをも怠り、瑠花の疾患を腸重積症であると決めつけて、横隔膜ヘルニアの患者に禁忌とされるバリウム注腸をいきなり施した。

(7) 佐々病院においてはレントゲン写真の現像は現像機にかければ五分で出来る態勢にあり、他方被告古山は約二五分もの間瑠花を診察室で無為に待たせたというのであるから、いかに瑠花が救急患者であつたとしても、被告古山がレントゲン単純撮影を行い、その写真を検討する時間は充分存在したと言うべきであり、また、右レントゲン写真により瑠花の疾患が横隔膜ヘルニアであることが容易に診断されえたことは、被告古山が注腸終了後に実際に瑠花のレントゲン単純撮影写真を見て横隔膜ヘルニアであることに気づいている事実からみても明らかである。

(8) 以上のとおり、被告古山にはレントゲン単純撮影により瑠花の疾患を正しく診断すべき義務を怠り、注腸終了に至るまで瑠花の疾患が横隔膜ヘルニアであることに気がつかなかつた過失が存在する。

(二) 誤つた医療上の措置(バリウム注腸)

(1) 被告古山は、瑠花を担当する医師として、瑠花の症状、疾病に最も適切な治療を施すべき義務を負うことは言うまでもない。

(2) ところで瑠花の場合、右(一)(3)のとおりその症状からみて腸重積症以外の疾患の存在を疑うべき余地が十分存在した。

(3) また、バリウム注腸はレントゲン透視によりバリウムが腸内を進んでいくところを画像で捉えながら行うものであるから、右画像を注意深く見ていればバリウムが胸腔内に入つていること、即ち瑠花の疾患が横隔膜ヘルニアであることを十分診断できた。

(4) 従つて、被告古山には、瑠花に腸重積症以外の疾患の可能性をも考え、レントゲン透視画像を注意深く検討することにより横隔膜ヘルニアを発見し、注腸を早期に中止すべき義務が存在したものと言うべきである。

(5) しかるに、被告古山は腸重積症のみを念頭に置き、他の疾患の可能性を考えずに右透視画像を見ていたため、右画像から横隔膜ヘルニアを発見することが出来ず、同疾患に禁忌とされるバリウム注腸を漫然続行した。

(6) しかも被告古山は、そもそも腸重積症患者に対するバリウム注腸について「約一五分の注腸圧にて整復困難な場合は手術を行うようにする。X線被曝量を極力少なくするため透視下の注腸時間は極力短縮することである。」とされているにもかかわらず、瑠花の腹部がパンパンに張り腹膜刺激症状まで見られるところを、一時間にわたつて五〇〇ccに及ぶバリウムを漫然と注入し続け、その結果後記のとおり瑠花の容態を一層悪化させた。

(7) 以上のとおり被告古山にはバリウム注腸の際透視画像を注意深く検討する義務を怠り、瑠花が横隔膜ヘルニアであることに気づかず漫然とバリウム注腸を続けた過失が存在する。

(三) 誤つた医療上の措置(呼吸管理)

(1) 被告古山は、瑠花を担当する医師として、瑠花が横隔膜ヘルニアであると判明した後武蔵野赤十字病院へ引き渡すまでの間、瑠花に対し適切な医療上の措置を施すべき義務を負うことは言うまでもない。

(2) ところで横隔膜ヘルニアはその病理からして呼吸障害が必発であり、手術までの間呼吸循環障害の改善を図らないと仮に手術が成功しても酸素欠乏による不可逆的循環不全又は中枢神経障害を招く危険があるから、手術前に適切な呼吸管理を施すことが最も重要であり、また、右呼吸管理は、現に呼吸障害が強くなくてもその疾患が確認されれば当然直ちに行われなければならない措置である。

(3) 従つて、被告古山には、瑠花の疾患が横隔膜ヘルニアであると判明した後武蔵野赤十字病院に引き渡すまでの間瑠花に対し適切な呼吸管理を施すべき義務があつたことは明らかである。

(4) しかるに、被告古山は、瑠花が横隔膜ヘルニアであり既に呼吸障害を引き起こしていることを知りながら、佐々病院から武蔵野赤十字病院まで転送する救急車に同乗もせず、また、同乗した看護婦に対し呼吸管理の指示を全く与えず、瑠花に対する呼吸管理を怠り、その結果瑠花の呼吸障害を悪化させた。

(5) 以上のとおり、被告古山には瑠花に対する呼吸管理を怠り、その呼吸障害を悪化させた過失が存在する。

4  被告古山の過失と瑠花の死亡との因果関係

(一) 横隔膜ヘルニアの手術については、生後三日以後の症例ではその成功率が一〇〇パーセントに近く、乳児の場合右率は一〇〇パーセントと言つてよいものである。

(二) ところで、佐々病院に到着したときの瑠花の状態は腸の胸腔内への嵌入がさほど進んでおらず、そのため呼吸循環障害も発現せず比較的元気な状態であり、また腸の嵌頓時間もさほど長くはなく(後に武蔵野赤十字病院で手術をした時も、腸は未だ壊死の状態には至つていなかつた。)、従つてこの段階で適切な呼吸管理を施し、武蔵野赤十字病院へ転送していれば、瑠花は手術により確実に救命しえた。

(三) ところが、バリウム注腸終了後の瑠花の状態は、腸が肺の先端に達するまで胸腔内に嵌入し、右嵌入した腸により左肺が押しつぶされて機能しなくなり、心臓も右側へ移動するほど圧迫され、その結果、武蔵野赤十字病院到着時には既に重篤な呼吸循環障害を引き起こしていた。そして、武蔵野赤十字病院において万全の治療が施されたにもかかわらず遂に救命し得なかつた。

(四) これは、被告古山が誤つた診断に基づき横隔膜ヘルニアの患者に禁忌とされるバリウム注腸を五〇〇ccも行つた結果、腸の胸腔内への嵌入が促進され、しかも嵌入した腸にバリウムが入つて腸が膨張し、左肺及び心臓を強度に圧迫して著しい呼吸循環障害を引き起こし、右呼吸循環障害が瑠花の死因となつたものであり、もし瑠花に対しバリウム注腸が施されなければ、かかる重篤な呼吸循環障害を惹起せずに済み、充分瑠花を救命し得たものである。

(五) 以上のとおり、被告古山の過失と瑠花の死亡との間に因果関係が認められるということは明らかである。

5  損害

(一) 瑠花の逸失利益 金三六六三万九九〇〇円

瑠花は死亡当時月齢満七月の女子であり、本件医療過誤により死亡しなければ満一八才から満六七才まで四九年間就労可能であつた。そこで右期間中の収入につき、昭和五九年度賃金センサス第一巻第一表の女子労働者産業計、企業規模計、学歴計全年齢平均給与額年額金二一八万七九〇〇円に家事労働相当額年額金一〇〇万円を加算した年額金三一八万七九〇〇円とし、右年収から生活費三〇パーセントを控除したうえ、ホフマン方式により中間利息を控除して(ホフマン係数は一六・四一九二)計算すれば、瑠花の逸失利益は金三六六三万九九〇〇円になる。

(二) 慰謝料

(1) 瑠花は、本件医療過誤により生後僅か七箇月でその生命を奪われた。もし本件医療事故さえなければ、瑠花は両親の愛情のもとに育くまれ、学び、遊び、働き、やがて最良の伴侶を得て結婚し、子供をもうけ、暖かい家庭を築き、その生涯の間に多くの喜びや楽しみを亭受するとともに、周囲の多くの人々に喜びや夢や希望を与えることができた。生命の価値とはこれら人間活動のすべてを包摂したものであり、単に労働により賃金を得ることに尽きるものではない。しかるに瑠花は肺をつぶされ、窒息状態の中で呼吸困難の挙句死亡した。乳児であつたため言葉にしてその苦しみを訴えることこそできなかつたが、あえぎもがき抜いて身体でその苦しみを表わしていたのである。こうした残酷な死に方をさせられたことは十分慰謝料に反映させられなければならない。

(2) 瑠花は原告らの初めての子であり、愛情を注ぎ生きる支えとなつていた。その愛児を目の前でもがき苦しむまま奪われ、もはや我子として抱くこともその成長を見守ることもできなくなつてしまつたのであり、その心情、その痛手は察するに余りあるものである。

(3) 他方、被告古山は、資格ある医師として重大な責務を負う一方、高い社会的地位と収入を保障されており、原告らはその専門家としての知識と職務に対する誠実さを信頼して愛児瑠花の生命を預けた。ところが被告古山はその信頼を裏切り、初歩的知識と医療に対する誠実さを欠き、それがために瑠花の生命を落としめたものであつて、その責任はきわめて重大である。この点は本件医療過誤事件の特徴でもあり、慰謝料の算定に当たつても十分斟酌されるべきである。

(4) 以上によれば、瑠花の死亡による慰謝料は、

(イ) 瑠花本人の慰謝料として 金一〇〇〇万円

(ロ) 原告らの固有の慰謝料として 各自金六〇〇万円

を下ることはない。

(三) 原告らの相続

原告らは、瑠花の死亡により瑠花の右(一)及び右(二)(4)(イ)の損害賠償請求権を各自二分の一ずつ相続した。

(四) 葬儀費用 各自金五〇万円

原告らは瑠花の葬儀費用として少くとも金一〇〇万円を要した。

(五) 弁護士費用 各自金四〇〇万円

原告らは本件訴訟の提起及び遂行を本件原告らの訴訟代理人に委任し、弁護士費用として各自右訴訟代理人に対し訴額の約一五パーセントである金四〇〇万円を支払う旨約した。

6  よつて、原告ら各自は、被告ら各自に対し、被告古山に対しては民法七〇九条に基づき、被告佐々正達に対しては被告古山の使用者として民法七一五条一項に基づき、金三三八一万九九五〇円及びこれから各弁護士費用を控除した内金二九八一万九九五〇円に対する本件医療過誤の発生した日の翌日である昭和五五年九月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否〈省略〉

三  被告らの主張

1  佐々病院における瑠花の診療経過〈省略〉

2  被告古山の無過失

(一) 先天性横隔膜ヘルニアはその発生頻度が極めて稀れな疾患であり、総出生数に対する発生頻度は、二〇〇〇人に一人又は三七〇〇人ないし一万人に一人とされ、ボッホダレックヘルニアはその約半数を占める。また、ボッホダレックヘルニアは出生直後より重篤な症状を呈する症例が多く、その大部分が新生児期に生死が決定し、同疾患を有しながら新生児期を過ぎる例は稀れであるから、その乳児期における発生頻度は更に僅少であり、瑠花の月齢(七月)における発生頻度は一七万六〇〇〇人に一人又は三二万人ないし八八万人に一人ということになる。

(二) これに対し、腸重積症は、特に生後三箇月から一才までの乳児に圧倒的に多いことがその特徴であり、殊に瑠花のような生後五月ないし七月の離乳開始期に発症する例が多く、その発生頻度はボッホダレックヘルニアよりもはるかに高い。

(三) そして腸重積症の場合胸腹部レントゲン単純撮影によりもたらされる情報は乏しく、その診断学的価値は低いのに対し、バリウム注腸透視は腸重積症の鑑別診断にとつて唯一の方法ともいえるものである。

(四) ところで瑠花は当時月齢七月の乳児であり、前医の申し送りは腸重積の患者ということであつた。更にバリウム注腸の際撮影されたレントゲン写真を検討すれば、瑠花は現実にボッホダレックヘルニアに加えて腸重積症(回腸―結腸重積ないし回腸―回腸重積)を合併していた可能性が非常に強い。

(五) 従つて、瑠花の月齢、前医師の申し送り事項、乳児期における腸重積症及びボッホダレックヘルニアの発生頻度に鑑みれば、たとえ瑠花に血便が見られず明確な腹部腫瘤及びダンス症候が認められないとしても、嘔吐を主訴とする七月児をみてボッホダレックヘルニアを疑うのは医学常識からすればむしろ非常識であると言うべきであり、被告古山がレントゲン室でのレントゲン単純撮影を省略し、瑠花が腸重積症であつた場合の危険を考えて(右(四)のとおり瑠花は腸重積症を合併していた可能性が非常に強い。)その診断を確定する目的でバリウム注腸を行つた処置は、正しい判断に基づく正しい医療行為であつたと言うべきである。

(六) また、バリウム注腸の手順としては、バリウム注入前に前後の比較の目的でレントゲン単純撮影をしておくことが通常であるが、右レントゲン単純撮影写真を予め現像し検討してからバリウム注入を開始しなければならないという考え方は一般的ではなく、多くの施設で多くの医師がレントゲン単純撮影に引き続いてバリウム注入を行つていることに照らすと、レントゲン単純撮影写真を予め検討することなくバリウム注入を開始した被告古山の行為も、正しい医療行為であつたと言うべきである。

(七) 更に右1(五)のとおり注腸終了後瑠花の容態は改善し、チアノーゼはなく自発呼吸があり、強制呼吸を施すべき状態ではなかつたのであるから、被告古山が瑠花を武蔵野赤十字病院へ転送する際呼吸管理を施さなかつた処置も、正しい判断に基づく正しい医療措置であつたと言うべきである。

(八) 以上のとおり、被告古山には原告ら主張のような過失は存在しないものと言うべきである。

3  因果関係の不存在

瑠花が武蔵野赤十字病院で手術を受けた際胸腔内に嵌入した腸管はかなり高度な循環障害を来たしていたところからすれば、瑠花の死亡にとつて致命的な影響を及ぼしたのは腸管の循環障害であつて、バリウム注腸による呼吸循環機能の悪化ではない。右腸管の循環障害は瑠花が横隔膜ヘルニアを発症した午前一〇時ころから徐々に進行悪化したものであつて、バリウム注腸を開始した時刻(午後四時四〇分ころ)から武蔵野赤十字病院における開腹までの二時間半程の間に注腸が原因で惹起されたとみるのは時間的に無理である。従つて、もし瑠花がバリウム注腸を施行されずに横隔膜ヘルニアと診断され、その結果手術開始時刻が二時間程早まつたとしても、腸管の循環障害の悪化は防ぎ得ず、生命をとりとめる可能性はなかつたといえるから、被告古山の医療行為と瑠花の死亡との間には因果関係は存在しない。

四  被告らの主張に対する認否

被告らの主張はいずれも争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

1  原告潔及び同洋子各本人尋問の結果によれば、請求原因1(一)の事実を認めることができ〈る〉。

2  請求原因1(二)の事実は当事者間に争いがない。

二瑠花の発病及び診療経過

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ〈る〉。

1  昭和五五年九月一〇日午前一〇時一五分ころ瑠花が身体を折り曲げて急に激しく泣き出し、その泣き方が普段と異なるので、原告らは同女をかかりつけの尾崎医院へ連れていつた。瑠花はそこで訴外尾崎又英医師により検温の後浣腸を受けたが、熱はなく、また血便も見られなかつたので、同医師から何か変わつたことがあつたら連絡するようにと指示されて、そのまま帰宅した。同日午前一一時三〇分ころ瑠花は初めて嘔吐し、その後三回軽く嘔吐したが、同日午後二時四〇分ころ激しく嘔吐し、熱を計ると三七度八分あつたので、原告らは再び瑠花を尾崎医院に連れて行き、同日午後三時三〇分ころ診察を受けた。尾崎医師の診察によれば、瑠花は顔色がやや悪かつたが、泣き声は元気であり、熱が三八度あつたが、感冒らしい所見はなかつた。また触診により右上腹部に軽い抵抗が軽度触知されたが、肛門部には出血の様子は全くみられなかつた。尾崎医師の診察が終わつた後瑠花は黄色透明液状の吐物を嘔吐した。尾崎医師は以上の診察に基づき、瑠花の疾患について一応腸重積症の疑いを抱き、原告らに対しその旨告げるとともに、同医院ではレントゲンの設備がなく、また場合によつては手術の必要もありうるゆえ、瑠花をそのような設備のある田無市の病院へ転送する旨話した。同日午後三時四〇分ころ尾崎医師は佐々病院に架電し、電話に出た被告古山に対し、「七箇月の女の赤ちやんで腸重積の疑いのある患者を送りたい。血便は見られず、確定はしていないけれども、右上腹部に抵抗があつてどうもそのようである。従つて外科に送りたいので頼みたい。」旨述べて受け入れを要請し、被告古山はこれを応諾した。尾崎医師はその後直ちに救急車の手配をした(以上の事実のうち、尾崎医師が佐々病院に電話で瑠花の転送を連絡し、同病院の承諾を得て救急車の手配をした事実は、当事者間に争いがない。)。

2  同日午後三時四六分ころ救急車が尾崎医院に到着し、直ちに原告ら及び瑠花を乗せて佐々病院に向かい、同日午後三時五五分ころ同病院に到着した。瑠花は、救急者の中では原告らに抱きかかえられていたが、多少元気がない程度で、泣きもせず、痛がる様子もなかつた。原告らは到着後直ちに瑠花を抱きかかえて外科外来の診察室に入つたところ、瑠花の診察を担当することになつた被告古山から、「ああ電話のあつた腸重積の子か。ちよつとそこですわつていて。」と言われ、しばらく待つよう指示された。被告古山は先に三名の外来患者の診察を済ませ、その間瑠花は医師及び看護婦の双方から何の診察も受けることなく同日午後四時二〇分ころまで待たされた(以上の事実のうち、右時刻に救急車が尾崎医院に到着し、直ちに原告ら及び瑠花を乗せて佐々病院に向かい、同病院に到着した事実及び原告らが到着後直ちに外科外来の診察室に入つたところ、瑠花の診察を担当することになつた被告古山から、「ああ電話のあつた腸重積の子か。ちよつとそこですわつていて。」と言われた事実は、当事者間に争いがない。)。

3  同日午後四時二〇分ころ瑠花は被告古山の診察を受けた。被告古山は看護婦に対しレントゲン透視室の準備具合を聞き、看護婦から準備が整つたとの返事を受けると、瑠花を診療台の上に寝かせて腹部を触診したが、検温及び聴診は行わなかつた。右診察時の瑠花の状態は、自発呼吸があり、意識もはつきりしており、触診の結果右上腹部にやや抵抗のような感じがあつたものの、はつきりとした腫瘤とは認められず、また、腸重積症の症状の一つで右下腹部が空虚に触れるダンス症候も認められなかつた。また、原告らに対する問診により、大要前記のとおり瑠花は、午前一〇時ころから腹痛が始まり、佐々病院来院までに計六回嘔吐したが、血便はないとの説明を受けた。被告古山は、瑠花の右症状からして腸重積症らしくないとの印象を持ち、瑠花の疾患として腸重積症の他に消化不良性嘔吐症及び幽門狭窄症を考えたが、他方、横隔膜ヘルニアの可能性については、前医(尾崎医師)の申し送りが腸重積症の疑いということであつたこと、同疾患が瑠花の月齢の乳児によく見られること、及び呼吸障害が見られなかつたことなどからその可能性に思い至らず、また、腸重積症であつた場合月齢七、八月の乳児であるとかなり重篤な症状を招来する危険性があることを考え、鑑別診断及び整復治療の両方を兼ねる目的で瑠花に対し直ちにバリウム注腸透視を行うことを決めた。そして、通常外来患者に対して鑑別診断の目的で行うレントゲン室でのレントゲン単純撮影を行わずに、直ちに瑠花をレントゲン透視室に移すよう指示した(以上の事実のうち、瑠花が被告古山の診察を受けた事実、同被告が瑠花の腹部を触診した事実、触診の結果瑠花の右上腹部にやや抵抗のような感じがあつたものの、はつきりとした腫瘤とは認められず、また、腸重積症の症状の一つで右下腹部が空虚に触れるダンス症候も認められなかつた事実、及び被告古山がレントゲン室でのレントゲン単純撮影を行わずに直ちに瑠花をレントゲン透視室へ移すよう指示した事実は、当事者間に争いがない。)。

4  被告古山は、瑠花を透視台の上に寝かせ、同女の月齢及び体重から判断してバリウムの注入量を二〇〇ccと定めてレントゲン技師にその調合を指示し、瑠花の肛門部にカテーテルを差し込んだが、その時レントゲン技師に「単純撮影はとらないのですか。」と言われ、バリウム注腸前後の状態を比較する目的で瑠花の胸腹部レントゲン単純撮影写真を二枚(乙第二、第三号証)撮影した。それから被告古山は右二〇〇ccのバリウムをイルリガトールに入れ、レントゲン透視画像を見ながら瑠花に対しバリウムの注入を開始し、約二〇分かけてこれを注入したが、カテーテルが瑠花の肛門に合わずに三回はずれ、そのためかなりのバリウムが洩れてしまい、また注入されたバリウムは殆ど直腸から先に進まなかつた。なお、瑠花は右注腸の間腹部が少し堅くなつて泣いていたが、その泣き声は次第に弱くなつていつた。そして注腸を終えたときには瑠花は名前を呼んでも反応がなく唇が赤紫色を呈するようになつた(以上の事実のうち、被告古山が胸腹部レントゲン単純撮影写真を二枚撮影し、その後引き続きバリウムの注入を開始した事実、同被告が約二〇分かけて二〇〇ccのバリウム注入を行い、この間カテーテルが三回はずれた事実及びこの間瑠花の泣き声が次第に弱くなつていつた事実は、当事者間に争いがない。)。

5  被告古山は、右二〇〇ccのバリウム注腸によつても未だ腸重積症の診断がつかず、そもそも右二〇〇ccのバリウムはそのかなりの部分が肛門から洩れて腸に入らなかつたので、更に三〇〇ccのバリウムを追加して注入することにし、レントゲン技師に対し調合を指示した。原告潔は、被告古山が更にバリウム注腸を続けようとしているのを見て、同被告に対し、「こんなに腸が張つているのにまだ続けて破裂しないでしようか。」と危惧を述べたが、同被告は、「バリウムの流れが止まつているんだなあ。患部までいかないんだよ。ここまでやつたんだからもう少し注腸したいと思うんだが。あるいは整復できるかもしれないし、カメラを見ながらやつているんだから大丈夫だよ。」などと答えた。同日午後五時ころ被告古山は瑠花に対しバリウム注腸を再開したが、相変わらずバリウムは肛門から洩れた。同被告は、瑠花が泣いて腹圧がかかるからバリウムが腸に入りにくいものと考え、鎮痛の目的も兼ねて、硫酸アトロビン〇・五ミリグラムを筋注(筋肉注射)し、次いでケタラール一・五ミリグラムを筋注した。筋注の時点での瑠花の症状は顔色及び口唇の色が少し悪い感じであつた。被告古山は、筋注後更にバリウムを注入し続けたが、バリウムは相変わらず肛門から洩れ、透視画像によればバリウムは下行結腸に達したものの、脾湾曲の付近で止まり、その先の横行結腸に入つたか入らないかの状態でそれより先に進まず、また、腸重積症患者に見られるカニの鋏様の典型的な陰影は映し出されなかつた。被告古山は、瑠花の腸に閉塞状態のあることが判明したものの、それが腸重積症の状態にないので、用手的に腹部を加圧して腸内バリウムを上の方へ押し上げてみようと考え、手で軽く圧迫を加えてみた。ところが右時点で瑠花は顔色がかなり悪くなり、口唇が紫色でチアノーゼが出現した。そこで被告古山は、このまま注腸を続ければ死亡する可能性があると考え、同日午後五時二五分ころ注腸を中止してバリウムを排出するとともに、看護婦に対し酸素吸入の用意及び病室の確認を指示した(以上の事実のうち、原告潔と被告古山の会話の内容が右判示のとおりであつた点、被告古山が三〇〇ccのバリウムを追加して注入した点及び同被告が午後五時二五分ころ注腸を終えた点は、当事者間に争いがない。)。

6  同日午後五時三〇分ころ瑠花はレントゲン透視室から病室へ運ばれ、病室で点滴を施されるとともにマスクによる酸素吸入を受けた。瑠花は自発呼吸があつたが、被告古山は原告洋子に対し、「息づかいをよく注意し、呼吸が止まつたら人工呼吸の必要があるのですぐ連絡するように。」と指示した。その後被告古山はレントゲン透視室へ行き、瑠花の胸腹部レントゲン単純撮影写真をみて、バリウム注入前の状態で(前記乙第二、第三号証)左の胸腔部に結腸ないし小腸が脱出しており、瑠花の疾患が横隔膜ヘルニア(ボッホダレックヘルニア)であることに気づいた。当時佐々病院に勤務していた訴外東里医師も右レントゲン写真をみて、被告古山に対し、「あれは横隔膜ヘルニアであるから手術をしなければならない。佐々病院でできるような程度の病気ではないから、武蔵野赤十字病院の小児科に頼む。」旨述べ、同病院への転送手続をとつた。同日午後六時五分ころ、原告潔は外科外来の診察室へ呼ばれ、被告古山及び東里医師から、瑠花の病名は横隔膜ヘルニアであり腸重積症ではないこと、既に極めて危険な状態で、手術をしても危険性は高いこと、佐々病院では処置できないので、同病院の救急車で武蔵野赤十字病院へ転送する旨告げられた(以上の事実のうち、被告古山が胸腹部レントゲン単純撮影写真をみて、瑠花の疾患が横隔膜ヘルニアであることに気がついた事実及び原告潔が被告古山及び東里医師から瑠花の病名は横隔膜ヘルニアであり腸重積症ではないこと、既に極めて危険な状態であること、及び佐々病院では処置できないので、同病院の救急車で武蔵野赤十字病院へ転送する旨告げられた事実は、当事者間に争いがない。)。

7  瑠花を乗せた救急車はその後直ちに佐々病院を出発し、同日午後六時三〇分ころ武蔵野赤十字病院に到着した。佐々病院を出発するときの瑠花は、意識がなく眠つたような状態であつたが、被告古山は、瑠花に自発呼吸があり、また、武蔵野赤十字病院に到着するまでそう時間がかからないだろうと考え、自らは救急車に同乗せずに看護婦二名を同乗させたが、同乗した看護婦に対し呼吸管理の指示を与えなかつた。車中では瑠花に対する酸素吸入措置はとられず、原告らが点滴を保持していた(以上の事実のうち、瑠花を乗せた救急車がその後直ちに佐々病院を出発した事実、被告古山が救急車に同乗せず、看護婦二名が同乗した事実、及び瑠花に対する酸素吸入措置がとられなかつた事実は、当事者間に争いがない。)。

8  武蔵野赤十字病院に搬入されたときの瑠花の容態は、意識不明、チアノーゼ著明、脈拍頻数微弱でその呼吸パターンは重篤な呼吸障害を示す下顎呼吸であり、理学的には左肺呼吸音が聴取できず、心濁音界不明であつて、かなり重篤な呼吸循環障害を引き起こしていた。瑠花の右症状をみた同病院の医師団は、直ちに瑠花に対しマスクによる酸素吸入を施し(右措置は腹腔内の臓器の胸腔内への嵌入により胸腔内圧が既に非常に高くなつているため、ヘルニア内容を腹腔内へ還納するまでは右胸腔内圧を更に高めることになりかねない気管内挿管の方法によるよりもマスクによる酸素吸入の方が呼吸管理の方法としてより適切であるとの医師団の判断に基づく。)、緊急手術の適応であるということで直ちに手術(横隔膜ヘルニア嵌頓整復、ヘルニア孔閉鎖術)に踏み切つた。そして同日午後六時五〇分に麻酔を開始し、午後七時五分、即座にヘルニア内容を腹腔内に還納するとの前提のもとに呼吸管理の方法を気管内挿管による人工呼吸に切り換え、午後七時一五分から開腹して左胸腔内に嵌入したヘルニア内容を腹腔内に還納した。ヘルニア内容は主として空腸の大部分及び横行結腸の一部であり、腸管はその一部が暗赤黒色に変色していたが、未だ壊死の状態には至つていなかつた(甲第一三号証の記載中腸が壊死の状態にある旨の記載部分は採用できない。)。なお、ヘルニア内容還納後も腸管(主として空腸)の血液循環障害は改善しにくかつた。ヘルニア内容還納後横隔膜欠損部(ヘルニア門)を縫合閉鎖したが、その途端に心停止(心臓停止)を来たし、マッサージにより回復したものの、短時間後にまた心停止を来たし、再び回復したところで同日午後九時四一分に手術を終えた。瑠花は午後一〇時に麻酔を終了して手術室から病室に移され、午後一〇時三〇分からは酸素濃度を最高値の一〇〇パーセントにして気管内挿管による呼吸管理が引き続き施されたが、手術後も心停止及び回復という経過をたどり、翌九月一一日午前二時四〇分、横隔膜ヘルニア嵌頓に起因する心不全のため死亡するに至つた(以上の事実のうち、瑠花が死亡した事実は、当事者間に争いがない。)。

三被告古山の過失

1  問題の所在

被告古山が瑠花を担当する医師として、必要な検査、診療を行い、瑠花の病状に対し正しい診断をなすべき義務のあることは当事者間に争いがない。ところで右二において認定した事実によれば、被告古山は、腸重積症の疑いのある患者として転送されてきた瑠花に対し、他の疾患の可能性として消化不良性嘔吐症及び幽門狭窄症のみを疑い、横隔膜ヘルニアその他の疾患の可能性には思い至らず、他の疾患との鑑別診断のためにレントゲン室で行うレントゲン単純撮影を省略し、腸重積症の鑑別診断及び整復治療の目的でいきなりバリウム注腸透視を行い、右手続の一環として前後の比較のためのレントゲン単純撮影を行つたものの、右写真を予め検討せずにバリウムを注入したところ、瑠花の疾患は腸重積症ではなく(瑠花が腸重積症を併発していたか否かについては後に判示する。)横隔膜ヘルニア(ボッホダレックヘルニア)であり、被告古山は右注腸終了後右レントゲン写真をみて初めて右事実に気づいたというのである。この点について、原告らは、被告古山は瑠花に対しバリウム注腸透視を行うに先立つて予めレントゲン単純撮影を行い、その写真を検討して同人の疾患が横隔膜ヘルニアであることに気付くべき義務があつた旨主張するのに対し、被告らは、瑠花の月齢、前医の申し送り事項、腸重積及び横隔膜ヘルニアの発生頻度等からみて被告古山に右のような義務は存在しない旨主張するので、以下この点について検討する。

2  腸重積症の症状、診断及び治療

〈証拠〉を総合すれば、腸重積症の症状、診断及び治療について以下の事実を認めることができ〈る〉。

腸重積症は、腸管の一部が隣接腸管に嵌入して発生する疾患で、乳児期に好発する疾患であり(甲第五号証)、殊に生後五月ないし七月の離乳開始期に多い(甲第八号証)。発症の当初は、嘔吐、啼泣、不気嫌、顔面蒼白などの症状があり、通常、血便、腹部腫瘤(腸重積先進部を触れる)、ダンス症候(回盲部を空虚に触れる)等の特徴的症状を伴うが、血便をみないこともあり、また泣いて腹壁が緊張したり重積部位いかんによつては右腹部腫瘤、ダンス症候がはつきりしないこともある(鑑定の結果)。その診断は、通常整腹治療を兼ねてバリウム注腸透視の方法によりなされ、右方法によつた場合、注入されたバリウムは腸重積先進部で停止し、カニの鋏状又は盃状の陰影欠損像が出現して確診される。他方、胸腹部レントゲン単純撮影によつた場合、症例によつては疑診の得られることもあるが、通常その診断学的価値は低い(乙第八号証及び鑑定の結果)。バリウム注腸に当たつては、患児への被曝量を極力少くするため透視下の注腸時間を短縮することが必要であり、バリウム注腸によつても整復困難な場合は開腹手術による。同疾患は放置すれば死亡に至る危険なものであるが、早期に発見しさえすれば保存的に治癒せしめ得ることも多く、手術をしても予後は良好とされる(甲第八号証)。

3  ボッホダレックヘルニアの症状、診断及び治療

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ〈る〉。

ボッホダレックヘルニアは、先天性横隔膜ヘルニアの一種でそのかなりの部分を占める疾患であり、胸腹裂孔から胃、腸等の腹部臓器が胸腔内に嵌入する疾患である。その発生頻度は、先天性横隔膜ヘルニア全体について出産一二〇〇ないし二〇〇〇に対して一例(甲第九、第一一号証)、あるいは出産三七〇〇ないし一万に対して一例(乙第一一号証)と報告されており、そのうちのボッホダレックヘルニアについては、死産児一一〇〇人に一人、生出産児四〇〇〇人に一人、全出産児二二〇〇人に一人、あるいは生出産児一万二五〇〇人に一人と報告されており(鑑定の結果)、比較的稀れな疾患とされている。ボッホダレックヘルニアは、新生児期に最も多く(甲第一一号証)、出生直後から重篤な呼吸障害を呈する例が多い(甲第九、第一〇号証)が、乳児期(乙第九、第一〇号証)はもちろん、成人(乙第一二号証)から老人に至るまで存在することが知られている(甲第九、第一一号証)。乳児期ボッホダレックヘルニアの特徴的症状は、嘔吐、哺乳力減退、腸閉塞などの消化器症状が主体をなし、呼吸循環障害が軽いか、これを欠くものが少くない(甲第一〇号証及び鑑定の結果)。その診断は、通常胸腹部レントゲン単純撮影により容易に確定される(甲第七ないし第一一号証及び鑑定の結果)。右単純撮影により確定され得ない場合消化管造影を行うこともあるが(鑑定の結果)、造影剤を用いる場合には胃腸管の膨満、呼吸障害の増悪、嘔吐、誤嚥による窒息などを引き起こすおそれが強く、更に手術への貴重な時間を浪費することにもなるので、寸刻を争う新生児や呼吸障害の強い場合はむしろ禁忌と考えられている(甲第一〇号証)。その治療は手術によりヘルニア内容を腹腔内へ還納整腹し、横隔膜欠損部を縫合閉鎖して行う。患者は殆ど例外なく呼吸障害があるので、その治療に当たつては術前術後の呼吸管理が不可欠で、患者に対し十分な酸素を与える必要があり(甲第一一号証)、また、消化器症状が主体である乳幼児の場合も常に、急性の呼吸・循環障害が発生する可能性を念頭におき管理することが必要である(甲第一〇号証)。手術成功率は、予後不良とされている生後七二時間以内の症例についても約五〇パーセントであり(鑑定の結果)、乳児や年長児の症例については一〇〇パーセントに近いとする報告例も存在し(甲第七、第九、第一一号証)、術前術中術後の管理(特に呼吸管理)が適切になされた場合他に何らかの合併症のない限りその手術成績は良好とされる。

4  被告古山の注意義務

前記二及び三2、3で認定判示したとおり、瑠花の疾患についての前医の申し送りは腸重積症の疑いのある患者ということであつたこと、腸重積症は瑠花の月齢程度の乳児に好発する疾患であること、これに対しボッホダレックヘルニアはその発生頻度が比較的稀れな疾患とされているうえ、その多くは出生直後から発症し、乳児期に発症する例は少ないこと、腸重積症の場合レントゲン単純撮影は通常その診断学的価値が低いのに対し、バリウム注腸透視が重要な診断及び治療方法であるといえること、更に鑑定の結果によれば、瑠花のような症状を呈した症例に対して、一般の外科医としては腸重積症を疑い、胸腹部レントゲン単純撮影を行わずにバリウム注腸透視を行う場合もありうると思われる旨記載されていること、以上の点からすれば、瑠花の疾患について腸重積症の他に消化不良性嘔吐症及び幽門狭窄症のみを疑い、横隔膜ヘルニアその他の疾患の可能性を考えず、その鑑別診断のために行うレントゲン単純撮影を省略し、腸重積症の診断及び整復治療の目的でいきなりバリウム注腸透視を開始した被告古山の行為は、一見非難の余地のない医療行為であつたと見れなくもない。

しかしながら、いやしくも医師として人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし危険防止のために経験上必要とされる最善の注意義務を要求されることは言うまでもなく、殊に患者の疾患の鑑別診断については、その結果いかんにより続いてなされるべき治療等の措置も当然異なつてくるものであるうえ、万一誤つた診断に基づき誤つた治療等が施された場合事後的に修復することが困難な場合も少なくないとことに鑑みると、当該患者を担当する医師には、その疾患の鑑別診断を行うに当たつて、当時の医学水準に照らして合理的かつ相当と認められる範囲内で細心の注意を払うべき義務があるものと言うべきである。

ところで、前記二において認定判示したところによれば、瑠花の場合腸重積症の疑いのある患者という申し送りがあつたにせよ、その内容は「確定はしていないけれども右上腹部に抵抗があつてどうもそのようである。」という程度の口頭による報告にすぎず、レントゲン写真等他にその診断を裏付けるに足りる検査資料等の送付は一切なく、被告古山自身、触診等により知り得た瑠花の症状からして腸重積症らしくないという印象を持つたのであるから、右申し送りにとらわれることなく瑠花の症状を慎重に検討し、同女がいかなる疾患に罹患してるかについて、診断の当初において十分吟味すべきであつたと言える。そして、前記二及び右3において認定判示したとおり、ボッホダレックヘルニアは、その発生頻度は比較的まれであるとしても、その病名自体は医事関係者の間ではよく知られた疾患であるうえ、瑠花のような乳児期に発症する例も以前から知られていたこと、乳児期に発症する場合は呼吸循環障害よりもむしろ嘔吐等の消化器症状が主体をなすものであり、瑠花の場合も嘔き気及び嘔吐が主訴であつたこと(前掲乙第一号証)、その鑑別診断は通常胸腹部レントゲン単純撮影により容易に確定されること(現に被告古山も注腸終了後ではあるが瑠花の胸腹部レントゲン単純撮影写真(乙第二、第三号証)をみて瑠花の疾患がボッホダレックヘルニアである事実に容易に気づいている。)、以上の諸事情を併せ考えれば、被告古山としては、単に腸重積症以外の疾患の可能性として消化不良性嘔吐症及び幽門狭窄症を疑つただけでは足りず、より広くボッホダレックヘルニアを含めた瑠花の症状に対応する他の疾患の可能性を疑つてしかるべきであつたというべきであり、そのためには瑠花に対しバリウム注腸透視を行うに先立つて、予め他の疾患との鑑別診断のためにレントゲン単純撮影を行い、これによつて瑠花の疾患がボッホダレックヘルニアである事実に気づくべき義務が存在したものと認めるのが相当である。

5  被告らの主張に対する判断

(一)  被告らは、乳児期におけるボッホダレックヘルニアの発生頻度が僅少であることを強調するが、前示のとおり同疾患は医事関係者の間ではよく知られた疾患で乳児期における発症例も以前から知られていたことに加えて、通常レントゲン単純撮影により容易に鑑別診断がつくものであることに鑑みれば、右発生頻度の多寡は注意義務に関する前記判断を左右するに足りないものと言うべきである。

(二)  被告らは、瑠花がボッホダレックヘルニアの他に腸重積症を合併していた可能性が非常に強い旨主張し、それゆえ腸重積症であつた場合の危険を考えていきなりバリウム注腸透視を行つた被告古山の行為に過失はないかのごとき主張をしている。

しかしながら、被告らが右主張の根拠として指摘する証拠はバリウム注腸透視の際に撮影された胸腹部レントゲン単純撮影写真(乙第二ないし第七号証)のみであり、他に被告らの右主張を裏付ける証拠は見当たらないこと、逆に鑑定の結果によれば、右レントゲン写真からは腸重積症と診断しうる陽性所見は認められないとされており、また証人菱俊雄も、右レントゲン写真をみて腸重積症は考えられない旨証言していること、以上の点に鑑みれば、瑠花が腸重積症を合併していた可能性が強いとする被告らの主張はたやすく採用できない。

(三)  被告らは、多くの施設で多くの医師がレントゲン単純撮影に引き続いてバリウム注入を行つており、右レントゲン単純撮影写真を予め現像し検討してからバリウム注入を開始しなければならないという考え方は一般的ではない旨主張する。

しかしながら、仮に右のような取り扱いが行われているとしても、それはバリウム注腸透視の手続の一環としての、注腸前後の比較のためのレントゲン単純撮影に関する限りにおいて許容される取り扱いであるというべきであり、バリウム注腸手続に入る前になされるべき、他の疾患との鑑別診断のためのレントゲン単純撮影手続を省略することの正当化根拠とはなりえないものと言うべきである。

また、前示のとおり鑑定の結果中には、瑠花のような症状を呈した症例に対して腸重積症を疑い、胸腹部レントゲン単純撮影を行わずにバリウム注腸透視を行う場合もありうると思われる旨の記載が存するが、右のような取り扱いがはたして一般的に広く行われているか否かの点はさておき(証人菱俊雄はレントゲン単純撮影を行うのが普通である旨証言している。)、そもそも注意義務の存否は法的判断によつて決定されるべき事項であつて、仮に右のような取り扱いがある程度一般的に行われているとしても、それはただ過失の軽重及びその度合を決定するについて参酌されるべき事項であるにとどまり、そのことの故に直ちに注意義務が否定されるべきいわれはない。

6  小結

以上のとおりであるから、被告古山の呼吸管理上の過失等他の争点につき判断を加えるまでもなく、瑠花に対し予め鑑別診断のためのレントゲン単純撮影を行わず、瑠花がボッホダレックヘルニアであることに気づかずにいきなりバリウム注腸透視を行つた点において既に被告古山の行為には、過失があつたものと言うべきである。

四被告古山の過失と瑠花の死亡との因果関係

1  被告らは、瑠花の死亡は横隔膜欠損部から胸腔内に嵌入した腸管の循環障害によるものであつて、被告古山の前記過失と瑠花の死亡との間には因果関係はない旨主張するので、以下右因果関係の存否につき判断する。

2  まず、瑠花の死因について検討するに、〈証拠〉を総合すれば、武蔵野赤十字病院で手術を受けたときの瑠花は、ヘルニア内容が左の胸腔内の大部分を占めていて左肺が機能を失い、心臓を含めた縦隔が腱側へ著明に移動し、心臓が強く圧迫されてその心拍力、収縮力が低下し、その結果瑠花は重篤な呼吸循環障害を呈していたこと、瑠花は手術後も呼吸循環障害が改善せず、低酸素症(アノキシア)が原因と考えられる心停止及びその回復という経過をたどつた後心不全により死亡するに至つていること、他方、胸腔内に嵌入していた腸管(主として空腸)は循環障害が著明で還納後も改善し難かつたが、未だ壊死の状態には至つておらず、右腸管の状態からみて手術時期が遅延したとはいえない症例であつたこと、以上の事実が認められる。右事実を総合考慮すれば、瑠花の死因は、胸腔内に嵌入した腸管の循環障害にあるのではなくて、ヘルニア内容が左肺及び心臓を圧迫したことにより惹起された呼吸循環障害にあるものと認めるのが相当である。

3 次に、バリウム注腸透視を行う前後の瑠花の症状についてみると、前記二において認定判示したとおり、瑠花は、佐々病院に搬入されて被告古山の診察を受けた当時は自発呼吸があり、意識もはつきりしていて呼吸循環障害を起こしている様子は窺われなかつたが、バリウム注腸を終えたときは明らかなチアノーゼが出現し、マスクによる酸素吸入措置がとられるに至り、武蔵野赤十字病院に到着したときには意識不明、チアノーゼ著明で呼吸パターンが下顎呼吸であつて、かなり重篤な呼吸循環障害を引き起こしていたというのである。従つて、右経過に照らせば、瑠花は、佐々病院に搬入されてから武蔵野赤十字病院に搬入されるまでの間に呼吸循環障害を惹起し、これを急速に悪化させたものと認められる。

4  右3において判示したところによれば、被告古山の瑠花に対するバリウム注腸の施行が瑠花の右症状悪化にとつて何らかの形で大きく寄与してるものと容易に推測されるところ、〈証拠〉によれば、バリウムを注入する前の状態に比べて、バリウム注腸が進んだ段階では胸腔内への腸管の嵌入が促進されている状況が認められ、また、〈証拠〉によれば、バリウム注腸の進行に伴い胸腔内に嵌入した腸管がバリウム及びガスで膨満し、肺及び心臓を圧迫して瑠花の呼吸循環機能に悪影響を及ぼしたことが認められる。以上の点を総合すれば、被告古山がバリウム注腸を行つた間に注腸が原因で腸管の胸腔内への嵌入が進むとともに、嵌入した腸管がバリウム及びガスで膨満し、瑠花の左肺及び心臓を強く圧迫して重篤な呼吸循環障害を惹起したものと認めるに十分である。

5 ところで瑠花は被告古山の診察を受けた当時呼吸循環障害を引き起こしている様子は窺われず、また、嵌入していた腸管の状態からいえば手術時期が遅延したとはいえない症例であつたことは前示のとおりである。そして、前記三3において認定したところによれば、乳児や年長児の症例に対する手術成功率は一〇〇パーセントに近いとする報告例も存在するなど、その手術成績は良好とされているのであり、右二8において認定した診療経過からみて武蔵野赤十字病院においてとられた一連の医療措置に不備、不適切な点は窺われないのである。従つて、以上の点を総合すれば、被告古山が予め鑑別診断のためのレントゲン単純撮影を行つて瑠花の疾患がボッホダレックヘルニアであることに気づき、その結果瑠花に対しバリウム注腸透視が施行されずに引き続いて適切な手術が施されていたならば、瑠花はかなりの蓋然性をもつて救命し得たものと認めるのが相当である。

6 以上のとおりであるから、被告古山の前記過失と瑠花の死亡との間に因果関係を肯定することができる。

五被告らの責任

1  被告古山の責任

被告古山は前示のとおり自己の過失により瑠花を死亡させたのであるから、民法七〇九条に基づき、瑠花及び原告らに与えた後記損害を賠償すべき責任を負う。

2  被告佐々正達

被告佐々正達は佐々病院の経営者であつて同病院に勤務していた被告古山の使用者に当たることは前判示のとおりであるから、被告佐々正達は、民法七一五条一項に基づき、被告古山が前記過失により瑠花及び原告らに与えた後記損害を賠償すべき責任を有する。

六損害

1  瑠花の逸失利益

前判示のとおり瑠花は死亡当時月齢満七月の女子であり、前記経過で死亡しなければ満一八才から満六七才までの四九年間稼働しえたものと推認される。そして、昭和五九年度賃金センサス第一巻第一表によれば女子労働者産業計、企業規模計、学歴計全年齢平均給与額は年額二一八万七九〇〇円であるとされているから、瑠花は一八才から六七才まで年間平均二一八万七九〇〇円の収入を得ることができたであろうと推認することができ、これを基礎として右稼働期間を通じて控除すべき生活費の割合を三割とし、家事労働相当額の加算は相当でないから認めないこととし、中間利息の控除につきライプニッツ式計算法を用いて(ライプニッツ係数は七・五四九)死亡時における瑠花の逸失利益の現価額を算定すれば、次のとおり金一一五六万一五一九円となる。

218万7900円×(1−0.3)×7.549=1156万1519円

2  慰謝料

(一)  瑠花本人の慰謝料

前示のとおり瑠花は被告古山の過失によりすみやかに手術を受けることができなかつたばかりか、バリウム注腸という不適切な措置を施され、死亡するに至らしめられたのであるから、これにより瑠花の受けた精神的苦痛は甚大なものであつたと認めるべきであり、右精神的苦痛を慰謝するには金八〇〇万円が相当である。

(二)  原告らの固有の慰謝料

〈証拠〉によれば、原告らが出生後間もない第一子を本件経過で失つたことにより受けた精神的苦痛は計り知れないものがあると認められるから、本件事案の特殊性に鑑み、瑠花本人の慰謝料の他に原告らの固有の慰謝料として各自金三〇〇万円を認めるのが相当である。

3  葬儀費用

瑠花の葬儀が原告らの手により行われたことは、原告潔本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により明らかであつて、当時右葬儀に通常要すべき費用としては金五〇万円を下らなかつたものと認められるから、原告らは各自金二五万円宛の支出を余儀なくされたと認めるのが相当である。

4  相続

前示のとおり原告らは瑠花の父母であるから、同人の死亡により右1(逸失利益)及び右2(一)(瑠花本人の慰謝料)の損害賠償請求権を二分の一ずつ各自金九七八万〇七五九円宛相続したものと認められる。従つて原告ら各自の損害額は、右相続分に右2(二)の原告らの固有の慰謝料及び右3の葬儀費用を加算した金一三〇三万〇七五九円となる。

5  弁護士費用

原告らが本件訴訟の提起及び遂行を本件原告らの訴訟代理人に委任し、弁護士費用として各自右訴訟代理人に対し訴額の約一五パーセントである金四〇〇万円を支払う旨約したことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等に鑑み、本件医療過誤と相当因果関係を有するものとして被告らに請求しうべき弁護士費用の額は、各自右4の損害額金一三〇三万〇七五九円の一割である金一三〇万三〇七五円とするのが相当である。

七結論

以上判示したとおり、原告ら各自の被告らに対する本訴請求は、被告らに対し各自金一四三三万三八三四円及び内金一三〇三万〇七五九円に対する不法行為の後である昭和五五年九月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容することとし、その余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官小田泰機 裁判官西川知一郎)

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